瀬戸織部

2013.01.18

先日、新年の挨拶に 大和窯業 の大竹さんが来てくれました。

・・・これを持って・・・・

↓ 瀬戸織部の箸置き

添えてあった紙には、以下の文章が書いてありました。

「織部」

桃山時代から江戸時代初期、茶道具に使用され、当時は志野、鳴海、瀬戸(瀬戸黒、黒織部、織部黒)絵之手も含まれていた。
現行は黒織部、青織部、赤織部を含めて織部と呼び、一般的には、青織部のみを織部と称している。
黒織部は鉄釉に含めている。赤織部は赤い地土に白土にて文様を描き、鉄絵をあしらう。
絵織部は織部文様のみをあしらい、灰白釉で焼成したもの。
織部は美濃で発した、いや瀬戸だとの論争があるが、織田信長の時代戦乱を逃れて、瀬戸より美濃へ大量の工人が流出し、久尻窯を開いたといわれる加藤影光は天正2年瀬戸赤津で修行し、天
正11年(1583)美濃へ戻り久尻窯を開くと伝えられる。
このように瀬戸もほぼ同時代に織部、志野、黄瀬戸等を焼き始めたものと思われる。

なかなか味わいのあるものですね。